あけおめ

joei2015-01-19

去年はアナ雪と妖怪ウォッチ
我が家でも、世間同様に 大変なもんでしたが
クリスマスに妖怪ウォッチをもらったのに、サンタがアホで古いウォッチを用意しちゃいました。「これでもいいけど・・・」
次の日から、「ゼロ式のがいい!」と言い出した
「ゼロ式?なんやそれ」
どうも、新しい妖怪メダルはそれじゃないと、使えんらしい
去年、妖怪ウォッチが「なかなか手に入らん」
と、聞いたので
「ないんだって!」ということにしたが、イオンで山積みになってるというのだ
いらんことしてくれえるわ・・・


で、結局、正月のお年玉でその「ゼロ式」を買ったのである
「自分のお金(お年玉)で、買った!」とこきゃがる
サンタの株がさがりました・・・とほほ・・・


さて、去年のクリスマスは、お袋(おばあちゃん)の誕生日であります。正確には 12月26日ですが、だから、ぬいぐるみなんかをプレゼントに、家族で お祝いに出かけました

豪と大は 
妖怪ウォッチをおばあに自慢しますが、おばあには分かりません
だけど、昔からの いい加減さで、あわせてくれます

万里と英里は、上手におばあを遊んでくれました
ほんとに助かります
ほんとにいい子らです

話は、変わりますが、ぼくは 通知表について あまり やんやといいません
日ごろが大事
宿題を忘れず やっていくか?
兄弟の面倒をみるか?
お手伝いができるか?
学校へ楽しく通っているか?
これが大事であって、結果はどうでもよい
普段が大事ですから

普段、頑張ってるのに 結果(通信簿)が悪ければ、それは、点数つけた人(先生)が人間だって言うことでしょ

人間だから、間違うこともあるっていう・・だから、結果はどうでもよいのです。ただ、勉強の仕方に効率が悪ければ、アドバイスはしますけど
しかし、それさえも自分自身で気づくことが大事だけどね・・・
そういえば、今日言いたいことを 今、思い出した

「人間って、なにが 一番大事か?」っていうことだ
それは、気づく ことだ

「解る」ことだ
「知る」ことだ
「知らされる」ことじゃなく
自分から「知る」「解る」つまり「気づく」ことだ
仏法なら 悟り というのかな
たかが、数学の問題でも それに気づくと めっちゃうれしいもんだ

人間って、それが 一番手に入れたいことであって
衣食住より大事なんだ
だから、昔その手段を考え 食を断って 悟りを得ようとした 坊さんもあったのだ

そのくらい、「知」というのは 崇高なもんだ
勉強って 義務教育っていうけど、本来 知る ことは人間に与えられるべき 最高の権利なのだ

だから、義務教育ではなく権利教育でなくてはならない
世界中で 教育を受けたいと思っている 子供は多くいる
にもかかわらず、平和ボケした日本人は 登校拒否などという ことばがあるくらいだ

食べるものもない毎日が続く、そんななかでも
「何がほしいか?」尋ねると、「本が欲しい」とか「ノートが欲しい」など、
家が貧乏で小学生の年で、働かなくてはならない子供に 何が欲しいか尋ねると
「学校へ行ってみたい」などと・・・

つまり、衣食住より 「知りたい」というのは もっと強い願望 な はずなのだ
しかし、物欲まみれの日本人たちよ
人間になれない 妖怪人間は おまえたちだ
「早く人間になりなさい」
そして、勉強できることに感謝しなさい
平和な国に生まれたことをもっと喜びなさい
それができることが、一番大事で 成績なんか 二の次だ