更(皿)に 食べる

joei2014-11-30

故郷の岐阜県土岐市に、行ってきました
楽しい思い出より、淋しかった頃の思い出が多く
それも懐かしく「ああだった、こうだった」と
同行した妹と、話しながらその苦労の多かった
市民病院 裏の土岐川の川岸道路から、眺めた夕日です

小学5年生のこんな季節、同じ夕日を「きれいだ」などと
味わうこともなく、ただ寒くなっていく・・そんなことしか
思わなかったような時期でした
妹は小学3年でした
その年の3月、脳梗塞で倒れてそのまま入院した父と それに付き添った
母と、4人で病院での生活をしていたのです
半年たっても、改善の様子もない 当時41歳の若い父 38歳の母
そして、僕たち兄妹でした

病院の裏の川岸から妹とふたりで そんな話をしながら 夕日を見てました
小学3年生や5年生の自分の子供たちに、これからの人生の不安を与えてしまった父も さぞかし辛かったでしょうし、
切なかっただろうと 思う


子供の頃の 思い出って 楽しかったことも辛かったことも大したことなくさらっと 残る
そんな気がしませんか。それはそれで、どうしようもないことだし、どうにもならないことですし、ただ、家族という小集団がわかってくれるというか、価値を共有できるというか、そんなことが救いになったように思う

誰に理解されなくても、家族だけは、わかってくれる。
兄妹だけは、自分の味方だってことが、どれだけ自分を力づけてくれるか。
貧しさがあったからこそ、兄妹の協力もあったし、家族の団結もあったように思う
辛抱していれば、子供のこと恨めしく思った 夕日を大人になってから、懐かしく「きれいだ」なんて思って見られる日もくるってことを

ところで、食べることが大好きな 育ち盛り 4匹の子豚たちは、今日も 食いまくります
寿司も玉子しか食べなかったのに、最近は「まぐろ」などの味をわかり始めて、困ったもんだ
マグロは、玉子より 高いのだ〜
大河君も、一人でお子様ランチを完食できます
「あっぱれ」
この平和を維持するため 僕が病気になるわけには、いきません
末っ子の大河君が成人するまでは、働かなくてはなりませんから・・・

日増しに、生意気になってくるし、この間まで赤ちゃんだったのに、そんな風に毎日毎日 大人に近づいていきます
明日は、幼稚園でどんな生意気な憎たらしい言葉を覚えてくるのやら楽しみでもあります